original novels//fry away

はしらの瑕(第2話)




青柳瀧、まるで芸名みたいな名前だろう?
未都が広げたノートに書き込まれたその文字は少し大人びた綺麗なものだった。
小学校に通い始めて、5年生の瀧は1年生の未都には何か酷く大人に感じられた。煌と三人で居る時はさほどでもないのに、学校で見かける瀧は年長の人達と一緒にいるからなのだろう。何かそれが悔しくて、未都は懸命に背伸びをするように、教科書を広げる瀧の横にいつも陣取ってノートを広げていたのだ。
「ちゃんと名前を漢字でかけるようになったの。」
桜木、未都の名字のサクラの字が一番難しい。そう言った未都に、もっと難しいかもよ、と瀧が名前を書いてくれたのだ。ただ、その時に言った「芸名」については、意味を理解できずに困った顔をしてしまって、瀧に「気にしないで。」と寂しげな笑顔をさせてしまったのが、未都の胸にひっかかった。
その寂しげな笑顔はそれからも時折、未都の前を掠めていく。その笑顔を向けられる度に未都の胸が詰まった。そして、瀧の両親が早逝してしまっていること、楡嶺家は母方の血縁であること、そんな事を未都が知った時に、「芸名」と自嘲する瀧の気持ちがほんの少しわかったような気がしたのだった。それは、楽しく過ごした楡嶺の家から帰宅するときの未都の寂しい気持ちに少し似て、それ以上に苦しいもののように思えた。

「瀧さ、こっちではホテル滞在するって。」
「え?」
煌と入った喫茶店で、未都はぼんやり思索に耽ってしまっていた。未都の正面で煌が苦笑する。
「何か心配事でもある?」
覗き込むような煌の視線に、未都は瞼を閉じて軽く首を振った。
「そ?・・瀧の話してから、随分浮かない顔してるよ。」
「浮かないって、、。」
「・・ひょっとしてさ、瀧に知られたくない?」
「え?」
「俺達のこと。」
煌の視線が未都に刺さる。未都は、カップに伸ばした手が少し震えたのを懸命に隠す。
「いいよ、別に。俺も少し瀧には言いづらいんだ。」
煌が少し姿勢を起こして、額に手を宛てた。
「なんかさ、三人一緒が当たり前だったじゃん。」
未都は煌をちらりと見上げるようにして、カップに口をつける。その先を煌がどう続けるのかと、聞きたいのか聞きたくないのか、未都は気持ちをも飲み込む。同じような事をこの1年ずっと考えてしまっていた。瀧がN.Y.に行ってしまって、残されたから煌と居るのかという自分への問い。三人一緒は当たり前の日常だったが、煌が云っているのと意味が違う気がして未都は苦しくなる。

ー俺を忘れてくれ。
何を言われたのか、未都にはわからなかった。出張ではなく、赴任だと瀧は淡々と告げた。
ー良い機会だと思う。未都を解放してあげられる。
未都に返せる言葉は何一つなかった。茫然と目前の人を見つめた。きちりと着込んだスーツの襟元を緩めることなく、ほんの少しだけ眉を顰めて未都を見下ろす姿をただ見つめた。泣くことも喚くことも詰ることすら、できなかった。バクンバクンと血液の拍動だけが頭に響いて、言葉を発することもできない。
痛ましそうな表情が視界を掠め、そして後姿になった。去って小さくなる姿を、未都はずっと目で追いかけていた。「解放」その突き離した言葉に、粉々に砕かれてしまったものはもう原型がわからなくなってしまった。

5年前。

がたがたがたーん
屋敷の奥から、何かが倒れるような音が響いて、未都はハッと足を止めた。
未都が中学から戻って、瀧に勉強を見てもらおうと屋敷をたずねたのは16時過ぎだったろうか。瀧は大学生になっていたが、屋敷で祖父の仕事の手伝いをするからと、その時間にはたいがい帰宅していた。タイミングがよければ捕まえられる。学校の教諭よりも瀧の教え方は上手で、だから未都は瀧と勉強するのが好きだった。
その日、玄関でドアを開けてくれたのは、「会長邸」の島田という執事めいたことをしている初老の紳士だった。
「瀧さんは、会長とお仕事中なので、桜木様のお部屋でお待ち下さいとのことです。」
「ありがとうございます。」
未都はちゃんと瀧が未都が来ることを予定してくれていたと、嬉しくなって頬を少し赧めた。
「そうそう、若奥様のお戻りが遅いので、代わりに佐久がお部屋にお茶菓子を持って伺いますよ。」
島田は煌の母を若奥様と云う。大奥様は6年前に身罷られた煌の祖母の事。楡嶺の屋敷は左右に広くて、昼でも廊下が薄暗い。玄関を中央にして両翼を広げた形の建物は二階建てだが、やけに天井の高い洋館なのだ。もとは英国人商人の館だったというのを実感させる。左の邸は煌の祖父の居住スペースで右が煌達のスペースだと教えられていて、未都は招かれないかぎりは「会長邸」と呼ばれる左側翼には行かない。「会長邸」には島田を始めとした使用人もいるし賓客の来訪もあるスペースなのだという。佐久は「会長邸」のメイド頭という夫人だ。
「そんな、ご、ごめんなさいっ。」
遊びに来ている他家の子供にメイド頭がお茶菓子を運ぶなど、未都には身が縮まる。
「会長からの申し付けですから。」
ぺこり
未都は頭を下げた。
楡嶺家は複合企業の経営者一族であり、それを取りまとめるのが煌達の祖父である「会長」だった。庭で遊んでいれば声をかけてくれたりと、未都には優しい紳士という印象しかないのだが、息子夫妻と食事をともにしないなど、何か厳格に引いた線があるのを未都も薄々気付いていた。だから、「会長邸」の人々が右側翼で仕事をすることもないから、お茶菓子など特例過ぎる。
佐久が訪うまで、未都は緊張したまま「自室」と楡嶺の人々が割り当ててくれた部屋にいた。勉強机に猫脚の小さなテーブルにスツール、それに天蓋つきのベッドまである部屋は、本来の未都の自宅の部屋よりも広く豪勢だった。娘が欲しかったという夫人の鬱屈を発散させるスペースでもあり、、瀧の母親が使っていたという、代々楡嶺家の娘の部屋として受け継がれてきた部屋でもあった。
「未都様はお勉強熱心なのですね。」
クッキーと紅茶を運んでくれた佐久が微笑んでそういった。
「瀧さんが教え上手だから、です。」
「そうですか、では。」
素っ気なく佐久は応えて去っていく。
「ありがとうございます。」
未都は佐久を見送って、立ったついでとばかりに部屋を出た。手洗いに行っておこうと思ったのだ。瀧の前で、ちょっと、と出るのはなんだか恥ずかしいから、先に、そんなつもりだった。
そして、部屋に戻る途中に物音がしたのだった。音が響いたのは「会長邸」の廊下の奥。未都は様子を見に行くべきかどうか、戸惑った。
未都は逡巡したものの、部屋に戻ることにした。「会長邸」には島田のほかにも大人がちゃんといるのだ、未都が気付いたことにはきっと気付く。しかも、あちらに瀧がいるなら大丈夫だと。気持ちを切り替えようと、戻った部屋で机の上の教科書を開いた。それでも、この屋敷は壁も重厚であまり雑音がしないのにとか、泥棒や何かだったらどうしようと、ぐるぐると考えが巡る。
ふるふると未都は首を振って立ち上がった。見に行かないまでも、誰かに云うべきだと考えが至ったからだった。
ドアを開け、そろりと廊下に出る。
「あ、。」
長い廊下の先に瀧の姿があって、未都はほぅっと息を吐いた。が、すぐにギクリと身体を強ばらせる。薄暗い中に瀧の白皙に紅い唇がやけに鮮やかに浮かんで、その視線はまるで射抜くように鋭かった。未都は戸惑った。いつもの優しい瀧の姿とは違う。
そして、未都が怯えたのを瀧は察知したのだろう、空気が凍った気がした。
「みつ。」
低いのに上擦った声。
未都が逃げようとしたときには既に瀧に抱きすくめられていた。
バタン
後ろ手に瀧が部屋のドアを閉めたのに未都は一層怯えたが、瀧の目尻に涙の痕跡を認めて思わずそこに手を伸ばしていた。
「辛いこと?」
そっと尋ねる未都の手を瀧の手が包む。大きな手だと、未都はぼんやりと意識した。未都の指がそうっと瀧の涙の痕をたどれば、睫毛が震えて伏せられた。伸ばした未都の腕の上を瀧の手が滑るようにして、未都の顎を掴んだ。
瀧の通った鼻梁が未都の視界をかすめて、唇が塞がれる。
ぞく
未都の身体はその熱に震えた。上唇を咥えられてなぞられて、少しづつ押しつけられていく熱に、飲み込まれる。息苦しくて開いた口に深く押入ってくる塊。
んんっ
いきなり口蓋をなぞられて声にならない声が漏れた。その声が恥ずかしくて、逃れようともがいても瀧の腕は腰を強く抱いて離れない。未都の膝がかくんと力を失っても、瀧はそのまま未都を床に組み敷いて口を嬲り続ける。未都はただ犯される口内の感覚と苦しい呼吸の事しか考えられずに身を捩った。捩れば瀧の身体が両脚を割ってのしかかっていることに気付く。
んぁっ
その姿勢の意味する処はさすがに未都にもわかった。逃れようと力を入れれば、瀧の組み敷く力もまして、捩ったせいでまくれ上がったスカートから太腿がむき出しになってしまう。慌てた未都がそれを正そうとすれば、その手を払いのけた瀧の手が内股をなぞる。その感触に膝を閉めようとしても、瀧の身体に割られた膝は虚しく宙に揺れるだけだ。
ずる
下着がずり下げられて未都は両手を必死に動かそうとするのに、手首を抑える瀧の力には抗えない。あげようとする抗議も悲鳴も飲み込まれてしまう。
「未都。」
離れた唇が呼ぶ名前があまりに切なくて、未都は抵抗をやめた。
「どうして?」
未都に被さる表情は悲痛そのもので、襲われているはずの未都より辛そうに見えた。
ぽたり
未都の頬に瀧の眼から涙が落ちて流れた。
それが、きっかけだった。


「俺、瀧を蔑ろにするとか、そういうつもりはないし。」
煌が未都の前で話し続けている。未都はそれにあわせるようにうなずいた。
・・・煌を蔑ろにするつもりはなかった。
どう言い繕ったところで、瀧と未都との間に築かれてしまった関係は、煌をそこに含まないままだった。けれど、三人でいることをやめるものではなかった。
「未都は、、瀧を、なんていうのかな、俺と瀧は並列にしか、考えられない?」
この1年、何度も繰り返してきた問い。
「・・・・・。」
・・俺の事は忘れて。
未都の頭に瀧の声が繰り返し響き始める。言われた通り、忘れようとした。でも、それなら、瀧に近すぎる煌の告白に応えてはいけないと考えたのに、それができなかった。煌といれば嫌でも瀧を思う。瀧でも煌でもない人を探すべきなのに。ただ、関係のない人を選んでしまったら、三人の関係が失われてしまうと思った、失うのが怖かった。
「どうして、三人じゃダメなのかな。」
未都の口をついて出てしまった言葉。
「それは当たり前だろう?」
やれやれ、何を言い出したんだという表情で、煌が未都を見た。
「そう、だよね。」
「それに、、。」
言いかけた言葉を、煌が飲み込んだ。
「いや、ごめん。何でもない。」
煌が肩を竦めた。
ずきん
未都の胸と頭を鈍痛が襲う。ずっと一緒の三人という幻想に囚われていると、朱鷺が言ったのを未都は思い出した。幼馴染みの関係など、いつかどこかで破綻するのが当然だと未都も思う。なのに、違う道を未都は夢想してしまう。生涯三人でいられる道を探してしまうのだ。瀧に抱かれるたび、煌にこの関係がいつ知られてしまうのかと怖れる一方で、二人に愛される自分を妄想した。貪欲で淫乱な妄想。いつからそんな風に思うようになってしまったんだろう。
瀧に抱かれながら煌を想い、煌と笑い合いながら瀧を想う。
・・・私はおかしい。

「いま、瀧が帰ってきてくれて、良かったのかも知れないな。」
そう、窓の外に視線を流して煌が言った。未都は黙ったまま、煌の視線の先を追う。子供を肩車して楽しそうに歩く親子の姿があった。そっと、未都は自分のカップに目線を落とす。ミルクティーの入ったガラスのそれは、向こうを見通すことができない。まるで、今の自分そのもののような気がした。




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