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はしらの瑕(第1話)


はしらのきずはおととしの五月五日のせいくらべ


未都(みつ)はこつんこつんと靴音をたてながら、春の街並を歩いていた。表通りから少し入ったところの住宅から、鯉のぼりがゆうらりとはためいているが見えて、端午の節句が近いと知る。最近はあまりみかけない大きな鯉のぼりに、未都は結局足を止めた。ゆったりと一番大きな黒い鯉が風にたゆたい、その下に青い鯉が楽しそうに少し上の黒い鯉を見上げるようにして揺れているのに、その下の赤い鯉は柱に尾を取られて喘いでいる。ちょっと強い風が吹いたら、上の二尾と一緒に泳げるのに、未都はそんなことを考えてしまって、首を軽く振った。
皐月晴れの空はどこまでも青く、そよぐ風が心地よいのに、未都の心は重い。
こつん
ゆっくりと一歩を踏み出して、未都は前を見る。日曜の昼下がり、いつもより人が多い街並。腕を組み身体を寄せ合って笑顔であるくカップルの姿も多い。すれ違う人が、未都に眼を留める。こんな気持ちの良い日に辛気くさい顔をしてしまっているのだろうかと、未都は胸の内で苦笑を零した。
「未都と歩いてると、有名人にでもなったみたいだわ~」
親友の朱鷺がケタケタと笑うのを思い出す。その時、未都は朱鷺と歩いているせいでチラチラと通りすがりの人々の視線を浴びているのだと思っていたから、びっくりしたのだ。中学で出逢った彼女は栗色の柔らかなウェーブのかかったショートボブに、鳶色のぱっちりした大きな瞳、小さく形の良い赤い唇、白磁のような肌。少女趣味の小説に出てくる表現がぴったりの美少女だった。母方にロシア系の血縁があって、その先祖返りみたいなものよと、快活に笑う。自分の容貌が他とは違う事に、朱鷺は開き直ったのだという。
その朱鷺が未都を美人で羨ましいと褒める。黒いストレートのロングヘア、漆黒の瞳、それは朱鷺には無いものだからだと未都は笑って躱したが、少し自覚がないわけでもない。日本人形のような、というのは、小さな頃から言われていたから。だから、たぶん朱鷺と未都の組合せは目立つのだと思う。桜木未都、桜庭朱鷺。同じクラスで名前順の席に座るから、常に一緒だった。だから、二人は自ずと理解した。相乗効果でどうしても人目を引いてしまうのだということを。
脈絡無く過去に思いを馳せながら、未都は歩く。
「未都は綺麗だよ。」
そうっと宝物のように髪を撫でて耳許に零される低い声。
ほうっ
未都は大きくため息をついた。思い出さないようにすればする程、思い出してしまう。思い出してはいけないと、この1年必死になってきたのに、できなかった。自分の容貌が人目につくのだということを、未都は彼にも教えられたのだから。

「未都。」
掛けられた声にはっと未都は立ち止まり、顔をあげた。
正面に歩み寄ってくる背の高い人。短い焦げ茶色の髪が木漏れ日にキラリと光ったように見える。
「煌?」
待ち合わせの時間には少し早く、しかも待ち合わせの場所ではない。未都は柔らかく笑う煌に戸惑った声をあげてしまった。
「なんだよ、ちょっと喜んでくれても良くない?」
ぷす
口を尖らせた煌に未都は笑みを零す。
「いっつも遅刻してくるのに、って、びっくりしちゃった。」
「ひでぇ。」
そういいながら、煌はするりと未都の肩を抱いた。
「俺ってそんなにルーズ?」
未都は首を振る。
「ううん、忙しいからって知ってる。」
「ありがと。」
くしゃりと煌が嬉しそうに笑う。
社会人1年目の煌と大学生の未都では時間の流れが違う。同じ大学にいた時から煌はあれこれと忙しい人ではあったのだが、この4月からの忙しさはそれを上回っていた。休みの日には気が緩むのか、寝坊したとか、慌てた電話が未都にかかってくる。「無理しないで、やすんで?」と言っても、煌は会いたいからと約束を撤回することはない。
「仕事に慣れるまで、お家に行ったっていいのに。」
未都がそう言うと煌が困った顔になる。煌の家は未都の家の近所にある。
「家じゃ、デートになんないじゃん。」
肩に廻していた右手を煌はするっと未都の左手に絡める。
「デートって。」
未都は少し俯いて、絡んだ指に少し力を入れる。同じ町内に家があり、家を訪ねたほうがお互い移動時間が少なくて済むのに、少し離れた駅前で待ち合わせて出掛ける。それは1年前から始まった関係だった。
「幼馴染みの延長やってると、俺が男って思えないだろ?」
母親同士が親友で、未都は赤ん坊の頃から煌の家に連れて行かれていた。まだおくるみのなかにいる未都に頬を寄せる煌の写真が、未都のアルバムには貼ってある。それだけではない、未都のアルバムに煌の姿が写っていない方が少ないのだ。
「男って、、」
未都が言い淀む。さすがに二十歳にもなってその意味がわからない訳ではない。ただ煌はずっと「お兄ちゃん」だった。足が速くて頭も良くて、学校の人気者の自慢のお兄ちゃん。「楡嶺くんの妹さん?」煌が未都を連れ回すから、煌の回りの人はそう思ったらしい。未都も無邪気に「煌兄ちゃん」と呼んでいたから。ただ、それだけいつも近くにいたのだ。未都の両親は医師で忙しくもあり、夜中に二人とも帰って来れなくなることもしばしばで、そんなときは楡嶺の家に泊めさせてもらっていた。楡嶺の家は旧家だということもあってか、重厚で広い邸宅であり、女の子が欲しかったという煌の母親は未都のために部屋を整えてくれているほどだったのだ。だから、楡嶺の家を訪ねることは未都には何ら障害のあることではない。いまでも煌の留守中に、煌の母親の作る夕飯をご馳走になることすらある。
「家だと、お兄ちゃんって呼ぶだろう?」
煌が今まで通りに楡嶺の家に来ることを歓迎しなくなったのは、いつからだっただろうか。「お兄ちゃん」と呼ぶこと自体をあからさまに拒否されたのは、いつだったか。未都がクラスメートや上級生から、「お兄さんに。」と預かってしまうバレンタインデーのチョコレート。それをいまいましげに打ち捨てられたのが中学生の時。それまでは、「なんで預かってくんだよ。」といいながらも受け取ってくれていたのに。
「・・ごめん、待つっていったのは俺だった。」
黙り込んでしまった未都を覗きこんで煌が言う。1年、恋人として会っているのに、まだその距離感がお互いに掴めないでいる。未都も煌を兄だとは思ってはいないつもりなのだ。けれど、だからこそ、どう進めたらいいのかがわからない。
「ううん。ごめんなさい。」
未都は何度目かの謝罪を口にする。
「謝るな。瀧が帰ってくるからって、俺が、焦ってんだ。」
ズキン
その名前に未都はぎゅっと一瞬固く眼を閉じた。
少し神経質そうなその容貌を思い浮かべてしまって、未都はまた小さく首を振る。「瀧兄さん。」煌の年上の従兄。楡嶺の家で生活していたから、小さな頃の未都は瀧を煌の本当の兄だと思っていた。青柳という名字に疑問を覚えて首を傾げた幼い未都に、いとこってわかるかな?と優しく教えてくれたが、長じるに従ってそう単純な話でなかったことを、未都は知った。ただ、4つ年上の物静かな「お兄さん」は、煌にとっても自慢の兄だったはずで、小さい頃の煌と未都は彼にくっついてまわっていたのだ。
「焦ってるって、どうして。」
「う、、それは男の約束だから、言えない。」
煌がしまったというおどけた顔をしてみせた。それは本心を隠す時の煌のやり方だと、未都は知っているけれど、敢えてそこは指摘しない。
「煌と瀧さんは、約束が多いのね。」
未都は少し呆れたように煌を見上げる。
「そりゃーね、従兄だよ?他人じゃないからな。」
ズキン
三人でいると未都はお客様なのだと感じることがあって、よく寂しくなっていた。楽しく遊んでいても、未都は家に帰らなければいけない。両親に、お兄ちゃんが欲しいと駄々を捏ねて困らせたこともしばしばだった。
・・じゃあ、未都が楡嶺の子になればいい。
煌が凄いことを思いついたとばかりにそう言ったのを、未都は唐突に思い出した。
・・兄妹は結婚できないよ?
意地悪く瀧がそう言って煌は真っ赤になって叫んだ。
・・結婚できなくたってずっと一緒がいい。
絡めた指を摩るように煌の指が揺れる。指の股を深く絡めて撫で上げる刺激は何か官能的で、未都はそう感じてしまった自分を恥じて俯く。

「未都が好きだ。」
まっすぐに煌が未都を見つめてそう言ってくれたのは、1年前。瀧がニューヨークへ赴任した直後だった。3年は帰ってこれないかもと瀧が淡々と二人に告げて海の向こうに渡ってしまい、同じ大学だからと顔をあわせていた煌も就職活動で多忙になり、偶然会うこともまれになって、未都は「大人になる」ということはこうやって子供時代の関係を失っていくことなのかと感じていた矢先だった。だから、煌もまた、その寂寥感に耐えられずに言い出したのだと未都は思ったのだ。
子供なら、何のてらいもなく一緒にいられた。喧嘩をしても学校で顔をあわせて、なんとなく仲直りして。周囲の友人達もお互いを知っていて。それが、大人になって「仕事」をするようになったら、会おうとしなくては会いたい人には会えなくなる。会う理由が必要になる。
・・・幼馴染みは、理由にならないのかな。
そう言ったら、朱鷺が失笑していた。「血縁のない大人の男女だよ?幼馴染みだけじゃないでしょ。」煌さんに抱きしめてほしいとか、触れていたいとか、触れてみたいとか思わないの?と。「キス」も「セックス」も好意を伝える大切な会話だと、大真面目に朱鷺がいう。朱鷺とのつきあいの中で、未都は「恋人」がただ一緒にいるだけの存在ではないことを知った。理屈や理想で恋はできないし、恋はしようと思ってできるものでもない。だから、絡めた煌の指の太さやその温かさ、感触が未都に引き起すものを否定する気はない。
「未都が真面目なのは知っているから、その、俺を軽蔑しないで欲しいんだ。」
ずっと一緒に過ごしてきたから、煌に「彼女」という存在がいたのも知っていたし、かなり短いスパンで相手が変わるのも知っていた。学校で煌が手が早いとか、かなり上手だとかヒソヒソと女子の噂になっているもの耳にしていた。けれどそこに嫉妬や羨望を覚えるよりも当惑した。噂される煌は未都が知っている煌とは違う人のことのように思えていた、もしくは思い込んで気持ちに蓋をしたのかもしれなかった。
「軽蔑なんて。それに、私、、煌が思ってるほど、、真面目じゃない。」
啄むようなキスだけじゃなく、心まで嬲るような口づけをしてほしい。何も考えられなくなるほどに身体の芯を穿たれたい。なのに、このどうしようもなく破廉恥な身体に、煌が絶望してしまうのが怖かった。
・・・煌さんは、知らないの?
朱鷺が眉を顰めて未都に尋ねる。未都は頷いた。煌は知らない、ほんとうの未都を知らないのだ。
「昔ね、瀧が未都はお人形さんじゃないっていったんだ。」
ぎくり
どうして、そこで瀧の名前がでるんだろう、未都は絡まった指に震えが伝わったのじゃないかと息を飲む。
「ほら、バレンタインだっけ、俺カッカして、未都がもってきてくれたの全部ぶちまけたじゃん。あの時、瀧が珍しく怒ってさ。お前が中途半端だから、未都を傷つけるんだって。」
ああ
未都は嘆息する。思い出したのは同じことだったかと。その件をきっかけに、煌とは少し距離ができた。その距離は今も二人の間にあるのだと未都は思う。自分を「男」として見ろという煌は、未都を「女」として見ているのだろうか。幼い煌が、結婚しなくたってずっと一緒だと未都の記憶の中で叫んでいる。
「瀧ももててたのに、未都が何か預かったりすることなかったもんな。」
煌の思索は未都と違う方向に流れたらしかった。瀧は4つ年上だから未都は小学校以降、同じ学校に在籍したことがなかった。まして、瀧は人気者というよりは密かに憧れられるというタイプだろう。ノリだけでチョコレートを渡すなんて憚られる、そういう雰囲気があった。ただ、そういう雰囲気を作っておくことが周囲に要らぬモヤモヤを抱かせないという計算をした上だというのを、未都は知っている。たぶん、煌はそのことを言っている。
・・・ニューヨークに行ったのだって、計算ずくだ。
「一年ぶりかぁ。瀧、変わってないといいな。」
にこり
微笑みかける煌に未都も微笑み返した。



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